2008年06月08日

「08.06.08 秋葉原 無差別通り魔 殺人事件で思うこと」(08.06.08)

私は 私自身が何故 まだ生きているかと 考えると
死という機能停止の日までの時間を埋める為だけに
「日々 ルーチンを 何れくる日の為に 消化する為にこなしているだけ…」
と思うときは多々ある。
そして 自分の中身や存在の無意味さに 虚ろになる。

しかし 言ってしまえば このような問題は Doburoku-TAO自身の問題に過ぎない。
「『私は寂しい』でもそれは『私 自身の問題』 」
ともいえる。

このような
「生きているからくる 寂しさ」
は 各自で対処方法を見つけて 他人を巻き込まず解決(自分以外の人と 人間「社会」の中で 共存する為に)するしかない とさえ思っている。

今回の犯人に憤慨するのは
『自分の問題を解決する 手段として 他人の これからの可能性を奪った事』
につきる。

この世が嫌で
『自分で自分の命を終える』
のは 各自の勝手だが もっともらしい理屈や理由を積み上げても 
『自分以外の人々の生き続ける事で生まれる 可能性を奪う』
理由にはならない。

亡くなられた方々の ご冥福をお祈りします。

追伸…その1
この事件の発生した場所 から 「オタク」云々だから…と適当に片付けて 理由付け や 説明され 皆がわかったようにならない事を願う。
第二の「宮崎勤 事件」(オタクをとりあえず叩けばOK)とさせない為に…。

追伸…その2
岡田斗司夫の「オタクはすでに死んでいる」(新潮新書 2008年)の持つ 以前読んだような どこかから 剽窃したような稚拙な雰囲気を 検証したく、村上龍 「寂しい国の殺人」(シングルカット社 1998年)「イン ザ ミソスープ」(読売新聞社 1997年)を読みなおしていた最中にこの事件が起きた事が 気持ちを暗くさせる。 

posted by DOBUROKU-TAO at 23:58
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