「コミック チャージ」2008.01.01 号掲載 宮本延春 原作、清水洋三 作画「オール1の落ちこぼれ、教師になる」
第6話の中で 主人公が薦められて 観たTV番組の録画が「NHK スペシャル アインシュタイン・ロマン」だった事は 読んでいて懐かしい気分になった。
「アインシュタイン・ロマン」は 6話形式の科学 ドキュメンタリー(ただし 最終6話は 空想ドラマ形式)。
作家 故 ミヒャエル・エンデ 氏がコメントを入れる形で関わりながら 番組が進行する形態となっていた。
因みにDoburoku-TAOの手元には 当時再放送された際 録画した 2話から6話が残っていたりする。
アインシュタインを取り上げた番組として Doburoku-TAOの記憶に残る番組は 他には 故 カール・セーガン博士が 司会進行を行った 科学ドキュメンタリー「コスモス」がある。
ともに 観ていて賢くなった気分さしてくれる番組なのだが、カール・セーガン 博士の「コスモス」と ミャエル・エンデ 氏の「アインシュタイ・ロマン」には 同じアインシュタイン博士を題材にしながら その立ち位置の違がある。
カール・セーガン博士の「コスモス」は 現在人類の抱える諸問題についての 詳しい言及はないが、地球と宇宙の歴史を解説し 科学史を語ることで 人類に科学的思考で諸問題を解決しながら人類が進める事を示す。
「アインシュタイ・ロマン」では アインシュタインの理論を映像で解説しながらも その番組の中で ミヒャエル・エンデ氏は 20世紀の科学と消費の文明の批判の象徴として アインシュタイン 博士を 断罪する。が その主張は後ろを振り返るのみで 未来については絶望のみしか語らない。
ま、パンドラの箱に残された「希望」に、
「が」OR「しか」
のどちらかを観るかだけのの話なのだが…。
もっとも
何もしなければ どっちに見えても意味はないのは…(笑
(余談だが 番組中でエンデ 氏が語る「寓話」は 押井守 氏が映画「イノセント」の劇場販売パンフレットに寄せた文章の題材の「空」さを示す。勿論 エンデ氏の寓話の方が 映画「イノセンス」 よりも世に出たのは早い…)
漫画に話を 戻すと 「主人公」が観たのが5話や6話だけでなくて良かったなぁ~と 思ったりもする。
余談ついで…本日 入手ビデオ「小女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」中古200円なり。
この作品、 文章を打ち込みながら見る作品ではないと感じた。
だんだん イメージの羅列だけで 語りたい事があっても 「お話」がないと 観ていて辛くなる。このあたり、単にDoburoku-TAOの脳みそがボケてきているだけの話なのかもしれないが…(笑。
物語は、振り返って 出てきた世界を見ていないので 作品は「百億の昼 と千億の夜」にはなってない点で救い(未来への希望だけ)あり。
ところで、この映画 アニメ表現と製作環境への 意思表示として「作品」を製作していたのだとしたら 住み慣れた環境で「アニメション」として作品を作った事で その主張と説得力は弱った気がしたりもするのは気のせいだろうか…。
いやはや 言葉遊びは やはり良くないなぁ~ といったところで 今日はお終い。
posted by DOBUROKU-TAO at 01:42|
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