2010年10月07日

「2010.10.01 のもらい物」の続き「大阪 新歌舞伎座」10月公演 NEMYRI×GACKT PROJECT「眠狂四郎 無頼控」2010.10.06 鑑賞記…(2010.10.07 演劇鑑賞・もらい物)

 職場の取引先からのもらい物のGACKT主演「眠狂四郎 無頼控」2010.10.06(夜の部)を、仕事が休なので 同居人と見てきた。
 

開演は5分遅れの17:35で終演は20:40(幕間 20分休憩あり)
Doburoku-TAOは眠狂四郎という作品については原作も読んでないし、市川雷蔵氏の映画もみていない。唯一 田村正和氏のTV版を再放送で見ただけで 「眠狂四郎はこうあらねばならない!」とう確たるキャラクターへの思い入れ(執着)はない。従ってGACKT版「眠狂四郎」が先輩たちの確立したイメージをなぞる必要はないとおもう。

で、GACKT版「眠狂四郎」を例えるならば、TVアニメ版「ゲッターロボ」の「神隼人」だった(まぁ 石川賢描く漫画版「神隼人」だったらよかったなどというのは 所詮はオタクの戯言である)。
 殺陣(たて)で感じた事はGACKT氏の腰。流れはあるが刀に振り回されない安定感が足腰にないのが残念だった。今後 GACKT版「眠狂四郎」が [NEMYRI×GACKT PROJECT」で騎乗するかどうかはしらないが、腰を含む足腰の問題は演技をするうえでついて回るだろう。

 物語で気になった点は 初演より手が加えられているという嶋田久作氏 演じる「三雲迅雷」を倒した後のシーンにあると思う。
劇中(第一幕 田中健 演じる「武部仙労十郎」が狂四郎の住居を訪ねるシーン・第二幕最後に 山本匠馬 演じる「石動一馬」の問いかけ)で、GACKT版「眠狂四郎」は 「眠狂四郎」の他者へ対する配慮を問われ 「所詮 無頼…」ではぐらかす(ウフ 照れ屋さん…!!つて見方もできるが…)
 だが「三雲迅雷」が息絶える間際の問いかけ(己の要求応じてくれた「狂四郎」への感謝もあるだろう)に対し「眠狂四郎」は背中を向けてうずくまっているだけである。
ここでなにか「眠狂四郎」が台詞がなくても(観客から)目に見えるかたちでの「狂四郎」というキャラクターのアクションがなければ、先に例を挙げた「狂四郎」の言動・行動とに違和感を生じてしまう。
このような些細な事が気になったのは 2幕において切り殺される時代吉次郎 氏演じる「利助」の死体に対し、葵陽之助 氏演じる「佐吉」の立ち去り間際の演技を見たからである。
ほんの一瞬の動作にそのキャラクターの心情が表れる様を見てしまった以上。主役の演技にはより期待してしまう。

 また嶋田久作氏 演じる「三雲迅雷」は劇中の描写で気になった事はそのキャラクターの生い立ち(何故「剣を極める鬼」となったか…?)である。
これは、この芝居の時間枠をで突っ込んで語る必要でない事かもしれない。
では何故そのような感想を持ったかだが、劇終了後に流れる登場キャラクターのイメージスナップにある。
気になったのは「三雲迅雷が我が子とおぼしき赤子を抱き上げている」スナップと「柴犬の子犬(お尻がキュート)」スナップを流してしまったことにある。
「父でもあったらしい三雲迅雷」という情報を出してしまった事で、何故「剣を極める鬼」となったかがどうしても気になってしまう。
キャラクターの情報の出し方として その表現管理は中途半端だと思う。
このキャラクターの生い立ちをあらわす事が出来れば、「石堂一馬」への劇中での配慮や最後の「ためらい」の理由付けにより深みが増すと思う。

 ところで 1幕の古本新乃輔 氏演じる「立川談亭」の辻講釈の場面で、杏さゆり 氏演じる「美保代」と「眠狂四郎」とのやり取りの合間、隅で 有森也実 氏演じる「文字若」の表現はみていていじらしくて微笑ましい(演技で遊んでいるのかな…(笑 )。

 「舞台装置」関連については 大画面のモニターを配置する事で 背景にCGを合成しているが 使われているCG画像でつらい部分があった。
特に「武部仙十郎屋敷」の背景が顕著だと思う。
 画像の中の木がディフォルメ(縮尺が違う)されている事ではなく、モニターという同一平面画像に対して画像内での奥行きを思わせる表現があるにもかかわらず「すべてにピントがあった状態(画像内配置 手前 奥に関係なく)」が正直見ていて作り物を強調している(うるさすぎる)。
また 舞台平面に対して、画像内の(遠近法の)消失点がずれている点や張られた情報ごとに(遠近法の)消失点が違う事も 違和感を際出される。
「壁」「木」 の記号を配置するだけではなく 画像内での奥行きに合わせて画像の鮮明度を変えて配置する事で 奥行き表現がより自然に出来たのではないだろうか?
機械をフルスペックで動かしたいCG作成者の技術者としての心情があるのかもしれないが、やはり「舞台」ではどう見えるかを配慮して抑えるのも力量だと思う(まさか 各劇場での見え方なの確認しない全劇場使い回し?)
 立体を作らず 画像(写真)でセットに奥行きを作った例は 過去に映画「新幹線大爆破」にある。
成田亮氏は沿線上のスナップ写真を切り配置する事で 目的を達成している。この例の場合は写真に写しだされた 距離相応のボケ具合と消失点が効果を生んだのだろう。
 ところで この舞台に配置された「大画面」だが、劇中「眠狂四朗」の顔が大写しになる。
ここはGACKT氏の表情の演技力が問われる 恐ろしい程役者として気が抜けない酷な演出だと思う。

あと、音だが音が割れるような高さで鳴らすのは駄目だと思うよ(2010.10.06 夜の部がたまたまそうだったのかもしれないが…)

最後に「画像は劇場で買ったパンフレット。
まぁ タダ券をもらったので せめてパンフレットぐらいは買わないととおもい(資料として)買った。
価格は3000円(10ガンプラ 1ガンプラ=300円 考案 島本和彦)
ところで 今読んでる文庫と比較してもらえばいかに大きいかわかると思う。
このパンフレット、サービス悪いというか他のGACKTグッズ同様 購入者には持ち帰り用の袋さえくれない。
たまたま 大きなカバンを持っていたからいいような物の、普通は観劇に来るような人はおめかししてきているわけで 大きなカバンは持ってこないと思うが…
みんな 持ち帰りに苦労したと思う。
雨の日にあのパンフレットを買って帰ったファンがいたら 可愛そうだと思ったりする。

まぁ タダ観でこのように書く事がルール違反かもしれないが、まぁ 所詮はGACKT氏の信者ですらない おっさんオタクの偏った戯言である…(笑。
それにネット番外地のこのブログを覗きに来るような物好きもいないだろう。
検索で引っかかってしまった人は…まぁ、ご愁傷様…(笑
posted by DOBUROKU-TAO at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・演劇・芸能 ? | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック